みきみに@アフリカの徒然日記

官僚を辞め、NGO職員としてアフリカ駐在中。読んで心穏やかになる記事を書いていきたい。

「○○してあげる」という気持ちでの行動は誰も幸せにしない

「○○してあげたのに…」と少しでも考えてしまう行動は誰も幸せにしないものだ、と思う。

 

仕事でも、「後輩が忙しそうだからこの資料の作成は私がやろう」という行動をとったとして、少しでも「資料の作成をやって『あげた』」と思うぐらいならやらないほうがよい。「なんで御礼いってくれないんだろう」「なんで『代わりにこの仕事やりましょうか』っていう一言をいってくれないんだろう」なんて心の中で不満が溜まりだす。

 

それは、完全に自分で自分を嫌な気持ちにさせているだけである。

 

「この資料作成やって」ということを適切な形で指示ができない「できない自分」を自分はできる上司だから後輩の忙しさに配慮してやってあげたんだという「できる自分」で多い隠しているだけである。御礼を言ってくれない後輩にはなんの落ち度もない。

家庭でだってそうである。「お風呂洗いをした」それで、その事実だけで自分が済むならいいけれど、「御礼をいってほしくて」「代わりに洗濯はしてほしくて」というのは誰も幸せにしない。これらをやってくれない相手に不満がたまるばかり。それならそうとしっかり伝えればよい。

 

これらの「○○してあげる」という気持ちは、相手をコントロールしようとする気持ちである。相手に御礼を言わせたい、相手に代わりにやらせたい、と相手をコントロールしたいという気持ちが出てしまっている。

 

相手をコントロールしたいという気持ちは誰も幸せにしない。コントロールされる方も窮屈だし、する方も不満が溜まる一方である。

 

だから、「○○してあげる」という気持ちでやるならやらないほうがよい。すぐに別の方法を考えるとよい。